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2014年2月20日

黒田如水(官兵衛)公ゆかりの地が杷木にもあった!

黒田如水(官兵衛)公が筑前に入国時、国境を守るための筑前六端城。

豊前(大分)との国境にある麻氐良城(杷木志波)には、黒田二十四騎でもっとも信頼の厚い重臣、栗山備後利安が城代となり警護にあたった。

現在は頂上からの眺望は望めないが、かつて黒田二十四騎の荒武者たも通ったであろう道を歩くことができる。

麻氐良山登山道入り口

 

栗山備後利安は、黒田如水(官兵衛)公が小寺姓を名乗っていた時から仕え、幾多の合戦で功績を挙げ黒田家を支えている。

また、有岡城に幽閉された時一命をなげうって官兵衛を救出した。

石田三成によって連れ去られそうになった官兵衛・長政の両夫人の大阪城救出など、黒田家の危機を幾度も救った家臣としても有名。

官兵衛公の信頼が厚く、官兵衛公の臨終の折りに合子の兜と唐革包の鎧を拝領、長政の治世を助けるように託された。

栗山備後利安画像(円清寺所蔵)

 

栗山備後利安は官兵衛公の没後その菩提を弔うため、龍光寺円清寺(杷木志波)を建立。

山号寺号もその法名「龍光山如水円清居士」に因んでつけられた。

円清寺正門

 

円清寺には黒田如水画像ほか、黒田長政画像、栗山備後利安画像、その息子栗山大膳画像が寺宝として所蔵されている。

円清寺建立の折、黒田長政より寄進された銅鐘があり、鐘楼からはかつて麻氐良城があった麻氐良山を望むことができる。

 

黒田如水(官兵衛)公画像(県指定文化財)

・慶長九年(1604)如水没後に描かれたものを、栗山備後利安が円清寺に寄贈した。

讃は千光寺住職宗儒和尚の筆で、如水公の経歴・筆跡などと共に栗山備後利安の家系や円清寺建立のことなどが記されている。

かつて如水公がキリスト教に入信して洗礼を受けたことが書いてあり、当時の幕府をはばかりこの箇所が消されている。

 

円清寺寺蔵銅鐘(国指定重要文化財)

・鐘に描かれている天人が飛翔している姿が優美。

その昔かんばつが続くと雨乞いのために、この鐘を筑後川に浸けたという言い伝えがあります。

 

 

栗山備後利安の息子栗山大膳は「黒田騒動」元和九年(1623)の中心人物と言われている。

長政没後、二代目藩主忠之のわがままなどにより、黒田家はとりつぶしの危機にあった。

栗山大膳は自己を犠牲にして、九州の総目付日田代官に「藩主に反逆の企てあり」との訴状を差し出し、裁きの庭で長政と家康公との関係を幕府高官に再認識させた。

大膳の「主に対する反逆の罪」に問われることを覚悟の上の訴えによって、黒田藩はとりつぶしを免れた。

 

栗山大膳にまつわる昔話

「大膳の亀たいじ」

国道386号線沿いの香山の入り口に、楠の巨木があります。

昔、この楠木のそばにあった大きな池に住む大亀が村人に悪さをして困っているということを聞いた。

数日後好天の日、淵のそばを通りかかった時に、池の中の大岩の上にいる大亀の姿が目についた。

黒田藩中で鉄砲の名手と言われるほど優れた名手である大膳は、供のものから鉄砲を受け取ると、狙いを定めて射止めた。

突如今までの晴天が曇ると見る間に大粒の雨が降り出し、たちまち大雨となった。

水があふれ大木や人家も流れ始め、がけ崩れとなり民家も池も埋もれてしまったということです。

楠木も崩れ落ち、現在の場所に留まった。

後年、この楠木は「大膳楠」と呼び、この時のがけ崩れを「大膳崩れ」とよんだそうです。

当時の楠木は焼けてしまったが、現在の姿はその子株が大きくなったものとのことです。

地元では「大膳さんの亀たいじ」と言い、昔話として伝えられています。

黒田二十五万石を救った栗山大膳は、地元の人から「大膳さん」と親しみを込めて呼ばれ伝えられています。

杷木町史より

 

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